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協会概要

ヘレンケラー・サリバン賞

 「ヘレンケラー・サリバン賞」は、視覚障害者の福祉・教育・文化・スポーツなど各分野において、視覚障害者を支援している「晴眼者」にお贈りする賞です。これは、「視覚障害者は、何らかの形で健常者からのサポートを受けて生活している。その支援に視覚障害者の立場から感謝の意を表したい」との趣旨で、当協会が1993年(平成5年)に創設しました。なお、同賞の名称は、ヘレン・ケラー女史と同女史を生涯支え続けたアン・サリバン女史の両氏の名に由来します。
 選考は、視覚障害者によって推薦された候補者の中から、当協会が委嘱する視覚障害者の選考委員によって、検討・決定しています。第1回の社会福祉法人全国盲ろう者協会理事長の小島純郎千葉大教授に始まり、毎年1回、選ばれた個人・団体の献身的な行為と精神に対し、感謝を込めてお贈りしています。

2021年度ヘレンケラー・サリバン賞は、
元NHKチーフディレクターの川野楠己さんに

(写真)受賞者の川野楠己氏

川野楠己

 本年度の「ヘレンケラー・サリバン賞」は、琵琶盲僧永田法順(ながた・ほうじゅん)を記録する会元代表で、瞽女(ごぜ)文化を顕彰する会発起人の元NHKチーフディレクター川野楠己(かわの・くすみ)氏(1930年8月23日生まれ、91歳・神奈川県横浜市都筑区在住)に決定した。
 第29回を迎えた本賞は、「視覚障害者は、何らかの形で外部からサポートを受けて生活している。それに対して視覚障害者の立場から感謝の意を表したい」との趣旨で、当協会が委嘱した視覚障害委員によって選考される。
 贈賞式は10月1日オンラインでの開催を予定し、本賞(賞状)と副賞として、ヘレン・ケラー女史直筆のサインを刻印したクリスタル・トロフィーが贈られる。(以下、敬称略)

授賞理由

 1952年4月にNHKに入局した川野楠己は、1965年に視覚障害児が、見たことのないものをいかに把握し、理解していくのか、その過程を追ってマイクを向けた30分の録音構成ドキュメンタリー番組「目から手が出る」を制作した。それは文化の日にNHKラジオ第1放送で放送され、文化庁芸術祭ラジオ部門に参加し、NHK初の奨励賞を受賞した。
 同番組を契機に、翌1966年4月から川野は、NHKラジオ第2放送で毎週1回30分番組の「盲人の時間」(現・視覚障害ナビ・ラジオ)を担当するようになった。同番組は、東京オリンピック直前の1964年4月に開始された。ディレクターは川野で3人目で、それまでは1年で交代していたが、川野は定年まで25年間も担当した。
 その間、同番組の制作過程で、瞽女唄が消えようとしている現実を知り、精力的にラジオで紹介していく。瞽女杉本キクイは、1970年瞽女唄が「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」として選択され、その保持者として認定され、1973年には、黄綬褒章が授与された。また、瞽女を引退していた小林ハルもNHK FMで紹介されるとにわかに注目され、国立劇場で公演するまでになった。そして1978年瞽女唄の伝承者に認定され、1979年には、黄綬褒章が授与された。
 1973年10月7日の「盲人の時間」で、働く盲人たちのシリーズとして琵琶を奏でて仏教説話を語り家内安全を祈願して歩く大分県の琵琶盲僧・木清玄(たかぎ・せいげん)を放送した。川野は平曲以来の視覚障害者による琵琶の伝承に興味を持ち調べると、九州各地に琵琶の流れがあった。早速肥後の琵琶法師を探して第1放送で紹介したが、すでに肥後琵琶は途絶える寸前だった。
 一方で明治維新まで島津藩の保護を受けていた鹿児島県の常楽院法流(じょうらくいんほうりゅう)は県の無形文化財「妙音12楽」を継承していた。その一人に宮崎県延岡市の浄満寺(じょうまんじ)の盲僧・永田法順住職がいた。日向の風土に鍛えられた太く美しい声と正確な音程でリズミカルに演じる琵琶の音に現世を超越した異次元に導かれるやすらぎがあった。
 法順はこの声と琵琶で家内安全五穀豊穣を祈願し家屋敷の不浄を払って延岡市とその近隣1000軒の檀家を回っていた。
 川野は、1990年にNHKを定年退職した後も視覚障害者とのつながりを大切にした。NHK在職中はなしえなかった消え去る運命にあった瞽女文化の取材・記録もライフワークとして続け、毎年春と秋に必ず最後の瞽女といわれた小林ハルの元を訪ねた。
 そして、川野は1996年にCD『最後の瞽女小林ハル ―― 96歳の絶唱』を自費制作した。2005年にはNHK出版から『最後の瞽女小林ハル ―― 光を求めた105歳』を、2014年には鉱脈社から『瞽女キクイとハル ―― 強く生きた盲女性たち』を上梓した。
 また川野は1999年には300人の会員を集めて『瞽女文化を顕彰する会』を結成し、全国から浄財を募り「瞽女顕彰碑」を、新潟県胎内市の盲老人ホームやすらぎの家の前庭に建立した。
 これらの著作を読んで小林ハルの存在を知った映画監督の瀧澤正治(たきざわ・まさはる)は、瞽女を主人公とした劇場映画製作を企画し、製作費1億円の資金調達に苦闘しながら2020年に完成させた。全国100余ヵ所で公開上映が続けられており、ベルリン国際映画祭にも出品された。
 川野は宮崎県延岡市の琵琶盲僧・永田法順住職の元にもたびたび訪れ独自に取材し、2001年NHK出版から『琵琶盲僧永田法順 ―― 現代に響く四絃の譜』を、2005年にはアド・ポポロから、CD、DVD、写真による『琵琶盲僧・永田法順全集』(同年度文化庁芸術祭レコード部門大賞受賞)を、2012年には鉱脈社から『最後の琵琶盲僧 永田法順 ―― その祈りの世界と生涯』を上梓。
 その間、川野の延岡市教育委員会への働きかけにより、永田法順は2001年に同市の無形文化財第1号になり、2002年には宮崎県の無形文化財の指定を受けた。だが、同住職は2010年1月24日に74歳で急逝した。
 伝承された文化財の終焉を見届けた川野は、記録を残すことの必要性に駆られ、取材した録音と写真を地元教育委員会でデジタル化して保存するためにすべてを寄託した。

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